2008/08/05.Tue
第552回「幽霊っていると思う?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは、「幽霊っていると思う?」です。この季節になってくるとテレビで盛り上がるのが心霊番組。幽霊を見たーとかいるわけない!といったような話題があがりますねー。ほうじょうの兄弟が昔、トンネルの中で白い格好の女の人が道のど真ん中に立っていた...
FC2 トラックバックテーマ:「幽霊っていると思う?」
今日は
トラックバックテーマで
書いてみようと思う。
「幽霊っていると思う?」
というテーマだ。
さて
幽霊とは
どういうものを
指しているのであろうか?
いろいろな
解釈があるだろうが
亡くなった方の
魂という定義づけと
したいと思う。
最初に結論から言うと
私は
いると思っている。
自分自身
何度か見ているからだ。
あるいは
見ていなくても
何らかの説明できない
干渉があった事象を
経験している。
すぐに思いつくのは
中学校当時の事だ。
当時は確か
つのだじろう氏の
うしろの百太郎や
恐怖新聞が
少年週刊誌で
連載されていたと思う。
その辺の話から
今回のテーマと同様に
いるかいないかの話になった。
私は
物心ついたときから
いろいろな経験をしていたので
「いるよ」
と
当たり前のように話したと思う。
友人が
「いるわけないよ」
と言った直後に
机の間から
白いもやもやした
煙のようなものが
湧き出してきた。
「ほらほら、いま出てるよ」
「これ見えるだろ」
私には
間違いなく見えているのに
友人にはまったく見えないらしく
変な顔をされてしまった。
また、
同じくらいの時期に
視聴覚室なるところで
友人たちと
コックリさんをやっていた。
休み時間である。
授業の開始ベルが鳴ったときに
友人があせって
コインから手を離してしまった。
そのとたん
体中が痛いといって
床を転げまわり始めた。
みんな
なすすべもなく
呆然として見ている。
私はたまたま
九字の知識を持っていたので
すぐに
転げまわっている友人に
九字を切って
事なきを得た。
それでも
しばらくは
痛みが取れなかったようで
何度か
切り直してあげた。
また、
トロルドムに興味を持っているときに
横断歩道を渡っていて
ふと後ろを振り返ると
私の肩越しに黒い透き通った
手が見えたこともあった。
その後
別に何があったわけではないのだが。
他にもいろいろな経験があるが
話すと自分に跳ね返って来て
調子が悪くなるものもあるので
このくらいにしておこう。
なんか
最初の定義づけが
意味無かったようで
申し訳ない。
さて
このような経験は
あくまで
本人の主観によるものである。
なぜならば
最初の例で分かるように
他の人には見えないからだ。
おそらく
実際に経験しなければ
眉唾もとのしか
思えないであろう。
私は
いると思っているが
いないという人と
議論する気はない。
いないと思っている人には
いないのだ。
いるとしても
いないに等しい。
おそらく
一生
干渉しあうことは
ないであろうから。
私個人の考えとしては
見えない方がいいし
干渉されないほうがいい。
個人的な経験から
導き出した結論であるが
見えるということは
ある意味
取り込まれている
ということだと思う。
そして
それは
決して
精神性が向上するものではなく
どちらかというと
下降する物だ。
いっとき
心霊写真に凝って
そういう書籍を集めていたとき
寝床につくたびに
何かが腐ったような臭いがしてきていた。
精神がいくばくでも
向こうの世界に
繋がってしまったのだろう。
最近は
あまり見ることが無い。
年を取って
成熟したからなのか
他にやることが多すぎて
引き込まれる暇が無いのか
定かではないが。
ふむ、
随分長くなってしまった。
このあたりの話は
また別に機会を設けて
お話したいと思う。
長文で失礼した。
トラックバックテーマで
書いてみようと思う。
「幽霊っていると思う?」
というテーマだ。
さて
幽霊とは
どういうものを
指しているのであろうか?
いろいろな
解釈があるだろうが
亡くなった方の
魂という定義づけと
したいと思う。
最初に結論から言うと
私は
いると思っている。
自分自身
何度か見ているからだ。
あるいは
見ていなくても
何らかの説明できない
干渉があった事象を
経験している。
すぐに思いつくのは
中学校当時の事だ。
当時は確か
つのだじろう氏の
うしろの百太郎や
恐怖新聞が
少年週刊誌で
連載されていたと思う。
その辺の話から
今回のテーマと同様に
いるかいないかの話になった。
私は
物心ついたときから
いろいろな経験をしていたので
「いるよ」
と
当たり前のように話したと思う。
友人が
「いるわけないよ」
と言った直後に
机の間から
白いもやもやした
煙のようなものが
湧き出してきた。
「ほらほら、いま出てるよ」
「これ見えるだろ」
私には
間違いなく見えているのに
友人にはまったく見えないらしく
変な顔をされてしまった。
また、
同じくらいの時期に
視聴覚室なるところで
友人たちと
コックリさんをやっていた。
休み時間である。
授業の開始ベルが鳴ったときに
友人があせって
コインから手を離してしまった。
そのとたん
体中が痛いといって
床を転げまわり始めた。
みんな
なすすべもなく
呆然として見ている。
私はたまたま
九字の知識を持っていたので
すぐに
転げまわっている友人に
九字を切って
事なきを得た。
それでも
しばらくは
痛みが取れなかったようで
何度か
切り直してあげた。
また、
トロルドムに興味を持っているときに
横断歩道を渡っていて
ふと後ろを振り返ると
私の肩越しに黒い透き通った
手が見えたこともあった。
その後
別に何があったわけではないのだが。
他にもいろいろな経験があるが
話すと自分に跳ね返って来て
調子が悪くなるものもあるので
このくらいにしておこう。
なんか
最初の定義づけが
意味無かったようで
申し訳ない。
さて
このような経験は
あくまで
本人の主観によるものである。
なぜならば
最初の例で分かるように
他の人には見えないからだ。
おそらく
実際に経験しなければ
眉唾もとのしか
思えないであろう。
私は
いると思っているが
いないという人と
議論する気はない。
いないと思っている人には
いないのだ。
いるとしても
いないに等しい。
おそらく
一生
干渉しあうことは
ないであろうから。
私個人の考えとしては
見えない方がいいし
干渉されないほうがいい。
個人的な経験から
導き出した結論であるが
見えるということは
ある意味
取り込まれている
ということだと思う。
そして
それは
決して
精神性が向上するものではなく
どちらかというと
下降する物だ。
いっとき
心霊写真に凝って
そういう書籍を集めていたとき
寝床につくたびに
何かが腐ったような臭いがしてきていた。
精神がいくばくでも
向こうの世界に
繋がってしまったのだろう。
最近は
あまり見ることが無い。
年を取って
成熟したからなのか
他にやることが多すぎて
引き込まれる暇が無いのか
定かではないが。
ふむ、
随分長くなってしまった。
このあたりの話は
また別に機会を設けて
お話したいと思う。
長文で失礼した。
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